《動物たちは何をしゃべっているのか?》翻訳者序文ー鳴き声から世界を読み取る:動物たちのメッセージと人間の理解

私は「青蛙巫婆」(カエルの研究者でもある訳者が著作物を執筆したり、講演する際に使用するニックネーム。「カエルの魔女」の意)と呼ばれますが、実は修士論文のテーマはシロガシラとクロガシラの鳴き声の比較だったため、本書動物たちは何をしゃべっているのか?の翻訳はとても楽しい作業でした。なぜなら、翻訳を進める中で、かつて鳥の鳴き声を録音していたころの喜び、苦しみを思い出したり、新たな知識を得ることができたのですから。

古来より、人間はどうすれば他の動物たちとコミュニケーションを取れるかに興味を抱いて来ました。それがゆえに『ソロモン王の指環』の伝説が生まれ、ノーベル生理学・医学賞(1973年)を受賞した動物学者、コンラート・ローレンツによる、この指輪をタイトルに冠した書物が生まれたのです。ローレンツはその書物の中で、自身と同僚がどのようにカモやその他の鳥の鳴き声をまね、さまざまな動物と意思の疎通を図ろうとしたかについて、たまに鳴き声を間違えたなどの笑えるエピソードを交えて記しています。

何度も映画化された小説『ドリトル先生』(ドクター・ドリトル)では、主人公がさまざまな動物と会話することができますし、『ジュラシック・パーク』の原作者として知られるマイケル・クライトンの小説『失われた黄金都市』の中には、手話のできるゴリラが登場します。そのゴリラが自分の見た悪夢の内容を学者に手話で伝え、共にコンゴを訪れるという物語です。

また少し前に出版された『ゴリラ裁判の日』(須藤古都離)は、実際の事件にインスピレーションを得て創作された小説で、動物園のゴリラの展示エリアに入ってしまった人間の子どもを救うため、との理由で夫のゴリラを射殺されたメスゴリラが人間を相手取って訴訟を起こすという内容です。

動物と人間の最も有名な会話は、本書でも言及されている、科学者のアイリーン・ペッパーバーグが研究対象として自ら飼育したヨウムについて記したノンフィクション、『アレックスと私』で紹介されているもので、同書の中国語翻訳版の書名になっている『你保重,我愛你』(いい子にね、愛してる)でしょう。これはヨウムのアレックスが命を終える前、飼い主である科学者に語りかけた最後の言葉です。

動物たちが何をしゃべっているかを知りたいと考えても、本当に知ることができるとは限りません。台北市動物保護処が設置されたばかりのころ、市役所前の広場であるイベントが開催され、私が所属していた機関もブースを出しました。私たちのブースの正面には、ある宗教団体がブースを設置しており、ディスプレイにジャイアントパンダの団団と円円(2008年に中国から寄贈され、台北市立動物園で飼育された雌雄のパンダ)の映像と、その宗教の教祖が箸に似た2本の金属の棒でテーブルの上の金属の円盤を叩く映像が流されていました。教祖はしばらく円盤を叩いた後に顔を上げ、「団団と円円はお腹が空いたと言っています」と告げました。私ならあんなもの叩かなくても2頭がいつお腹を空かせているか見て取ることができるのに!このように、まったく科学的根拠のないやり方では、大部分の人間は納得させられません。

動物を研究する者は時に、「それを研究して何になるの?」「お金になるの?」などと問われ、「ただ知りたいから...」といった単純な答えでは済ませられない状況に陥ります。ですから、一貫して同じテーマで同じ生き物を研究し続けられる人は敬服に値します。こうした問いに嫌気がささないだけで大したものです。

本書の中で対談する二人の学者はそうした人物です。かつて京都大学総長を務めた山極壽一博士はゴリラの研究を30年以上にわたり続ける学者で、鈴木俊貴博士は約20年、シジュウカラの研究を続けています。二人とも、自身の研究フィールドで非常に長い時間を動物と共に過ごしてきたため、鳴き声やその行動だけで動物がどのような状況にあるのかを理解することができます。これこそ、二人が研究対象を異にしながらも、楽しく対談ができる理由なのです。

一旦、私のシロガシラとクロガシラの話に戻りましょう。この2種類の鳥は台湾の在来種で、クロガシラは固有種、シロガシラはアジア亜種で台湾固有亜種です。この2種は異なる種で、私の学生時代には(屏東県の)枋山郷、枋寮郷一帯から太魯閣(花蓮県)の天祥までのラインを境界とし、これより北はシロガシラ、南はクロガシラが生息することが分かっていました。また境界線上には両方の種が生息し、交雑もしており、交雑により生まれた個体は中国語で「雑頭翁」と呼ばれます。2つの種はいったいなぜ交雑できるのでしょう?言葉が通じるからでしょうか?私以前にこのテーマで研究する者はずいぶん先輩の女性しかいませんでしたが、私の後も指導教官が退職するまで研究は受け継がれ、ある学生は分子生物学レベルまで調査を進めました。もし私が「この研究は人間にとって何の役に立つ?」とか「もうかる?」とか聞かれても、やはり「楽しいから」としか答えられません。

山極博士と鈴木博士は対談を通じ、シジュウカラの研究が人間の言語の進化とどのような関係にあるかを私たちに教えてくれます。また、話題は現代社会の問題にも及びますが、私にとって最も興味深かったのは、鈴木博士の実験設計についての話でした。

私は鳥の鳴き声を研究した1年余りの期間、録音した全ての鳴き声を一つ一つ書き出し、シロガシラのみ、またはクロガシラのみが出す鳴き声、および台湾東部と西部の共存エリアに生息する2種が共通して出す鳴き声に注目して表にリストアップしましたが、それぞれの鳴き声の意味については考えませんでした。一方、鈴木博士はシジュウカラの鳴き声を細分化し、その声を耳にすれば「ヘビが来た」「タカが来た」「食べ物を見つけた」「みんな集まれ」などといった意味が理解できるようになりました。そしてさらに博士は、シジュウカラの鳴き声に文法があるかどうかについて研究を進めました。

単語の順序はどのように組み合わせるか、またその組み合わせは文章の意味に影響を与えるのか?シジュウカラは適当に鳴き、他の個体も漫然とそれを聞いているのか?鈴木博士はレコーダーを使ってそうした疑問に答えを見つけました。1台または2台のレコーダーを同時に使用し、普通の鳴き声を再生するではなく、「単語」を組み合わせて聞かせ、検証しました。その過程は非常に興味深く、みなさんもぜひ、ご自身で内容を読んでみてください。そして答えを見る前にまず、自分の頭で想像してみてください。

山極博士も以前、研究にたずさわっていた際、ルワンダで2年間、ゴリラと共に暮らした経験を紹介してくれています。その時、最も仲が良かったのは「タイタス」という名の6歳のオスゴリラでした。雨が降って木の洞で雨宿りしていた時、一緒に抱き合って眠ったほど仲良しだったそうです。たださまざまな事情から、その後、山極博士がタイタスと再会するのは、タイタスが既におじいさんゴリラになった26年後のことでした。再開直後、山極博士がどんなに呼びかけてもタイタスは知らんぷりで、博士はとても落胆しました。しかし2日が経過した後、あきらめきれずにもう一度、タイタスに会いに行くと、今度はすぐに近づいてきて、出会った当時のような子どもっぽい表情と行動を博士に見せ、笑い声まで上げたのです。

それは言葉では言い表すことのできない身体の記憶で、私たちが小学校の同窓会に出席した際、気持ちや言葉遣い、動作まで全て子どものころに戻るのと同じです。小学校時代の同級生2人が数十年の時を経て再会し、幼稚な態度で大騒ぎしていても、「私たち小学校の同級生なんです」と説明するだけで、周りの人間は状況をすぐに理解するのです。

ただタイタスの行動は山極博士にしか理解できません。あの思い出話を通じて博士が伝えたかったのは人間の言語が持つ力です。言語は同様の経験を持たない相手に、その経験を情報として伝えることができるのですから。

山極博士と鈴木博士の対談は、動物の行動から人間社会、言語から進化にまで話が展開します。対談のトピック一つ一つの分量は多くないものの、その内容は深く、興味を引くものばかり。これほどまで広く、また深い学問的知識を備えてこそ博士と呼ぶにふさわしいと感じさせます。もしかしたらあなたは動物たちが何をしゃべっているかなんて知りたいとは思っていないかもしれません。でも、毎日歩く道の途中で虫や鳥の声を聞く時、ドリトル先生の感覚を味わってみたいと思いませんか?フィクションの世界の人物とは距離感を感じるなら、この本を開いて部屋の外から聞こえる鳥の声に耳をすまし、鳥たちの気持ちをどれくらい理解できるか試してみてはいかがでしょう。

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