我的偵探社回憶

這篇講的是我開偵探社的經過。中文版請看[巫婆想當年]的巫婆的[清潔御手洗]始末

                           
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写真:コーンパイプ               
原出處 京都新聞
コーンパイプ
私は小学校の時から、ホームズのファンです。格好までまねようとしたが、服装を揃えてもパイプが手に入らなかったので、ずっと不完全燃焼でした。だから、コイン一個の値段でコーンのパイプを買えるのを見て、すぐ飛びつきました。
ホームズに憧れの余りに、中学校二年の時に探偵社を創りました。同級生三人で二年間の間に手書きの《探偵雑誌》を四回ぐらい出版して、幾つかの些細な事件を解決して、6月の卒業式を迎えました。
しかし台北市一同の高校入学試験は7月の910日にあるので、77日まで学校で勉強しないといけないのです。でも受験勉強はあまりにも退屈だったから、私は三人の「探偵」の繋がりがこれからも続けられるために、海賊印(頭蓋骨と×印になった二本の骨)と“探偵聯盟”の字が彫ってある判子を三つ注文して、最後の登校日に学校へ持って行きました。
同級生が私達の判子を見て、奪い合いしてそれぞれの教科書や服などに判を一杯押しました。隣クラスも騒ぎを聞き付けて、判子を借りに来ました。ノーと言えない私が、貸しました。
私達が判子ごっこにあきて、勉強し始めた時に、学校の「訓導主任」と「安全室主任」が慌てて来ました。教室に入ってくる途端に、「この紋に目に入らぬか」でも言うように全員に見せて、判子の持ち主を探すのでした。なんと安全室主任が学校中の壁と柱に「海賊印」がべたべた押してあるのを見つけて、共産党のスパイの仕業と思って、警察に通報したんだって。警察に:「おたくの生徒の悪戯と違いますか?」と言われてから、初めて校内で「犯人探し」をして、ようやく隣のクラスから判子を一個没収した。隣クラスの生徒はその判子が「張東君の持ち物」とは言ったが、学校中で押しまくったのは自分らとは一言も言わなかったのでした。私がそのまま「私のです」と認めました。安全室主任も訓導主任も「大した事がないので、安心して入試を準備しなさい」と言って、帰りました。一件落着……ではない。
入試が終わった翌日、訓導主任から「16日に学校に出頭するように」の電話が来た。行きたくなかったが、父に「自分が判子を押さなくても、貸す相手を見極めてなかった自分が悪いので、責任を持ちなさい」と言われ、嫌々ながら学校へ行きました。
結局、同級生と二人で、学校全てのトイレを掃除する罰を受けました。学校には三の学年があり、それぞれ25クラス、各クラスに50人強の生徒がいます。その他に、教職員用トイレもあるので、これら全員が使う分のトイレはどれぐらいあると思いますか?
だから私が人を信用しないで、動物に走ったのは「訳あり」なのです。
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這是明治時代的純毛外衣,時代跟福爾摩斯一樣喔

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